『悪人』
『悪人』
吉田修一の作品ばかりですみません。
でもこの本を読んで、ますます吉田修一が好きになったので、これからも吉田修一についての記事は増えると思います笑
吉田修一はこの作品について、「デビューから10周年。自信を持って『これが代表作だ』と言える作品を書けたような気がします。」と言っています。
私も今まで読んだ彼の作品の中で、この本が一番好きになりました。
この小説は、一見ミステリー小説で、殺人事件の紐解きが行われるのですが、
途中から「あれ?」となります。
というのも、後半になるにつれ恋愛小説要素やとても吉田修一らしい文学的な要素、ヒューマンドラマ的な要素が増え、
気づいたら感動のあまり泣きそうになってたりするからです。(私の場合)
この本で最も重要なテーマは、「悪人」とは誰なのか?ということです。
「悪人」と言う言葉を聞いて、どのような人間を思い浮かべますか?
残虐な殺人犯ですか?罪のない年寄りを狙う詐欺師ですか?一般人にナイフを突きつけるバスジャックとかの犯人ですか?
この小説では、その「悪人」のイメージが覆されます。
最初持っていた「悪人」の偏見が失われ、逆に被害者だと思っていたいわば「善人」の悪いところが見えてきます。
まぁ結論から言うと、私たち一人一人が「悪人」的な要素を持っています。
それが先天的なものなのか、育った環境やそのときおかれた状況によって巻き起こされるのかどうかは分かりませんが。
そして善と悪の判断は、誰が下すのでしょうか?
世の中のいわゆる「勝ち組」の人たちが必ずしも「善人」だとは限られません。
それに、この本を読んでいると、人間の知覚や認識のゆがみやずれの大きさに気づかされます。
うそや誤解、隠し事。本人の記憶が誤っていることもあるし、周りの人間が感情を誤って推測してしまうこともあります。
このようにどの情報や認識が正しくて、どれが間違っているか分からない状況で、
どうやって私たちは誰が「善人」で誰が「悪人」だと判断するのでしょうか。
そもそも「悪人」的な要素を少なからず持っている私たちに判断する資格はあるのでしょうか?
このように色々考えていると、どんどんネガティブになっていってしまうのですが、
決してあきらめることはありません。
誰かを信じること。大切に思うこと。
すると不思議に一生懸命になれるのです。
小説の中には、「大切な人がおらん人間は、何でもできると思い込む。自分には失うもんがなかっち、それで自分が強うなった気になっとる。」という言葉があります。
しかし大切な人がいて、その人を信じていると、
一つ一つの行動、一分一分が重みを持って、かけがえのないものに思えてくる。
だから必死になれるのです。
この世界はゆがみだらけで、
人間はみな少なからず「悪人」ですが、
その欠陥を踏まえて、誰かを信じること。
そしてその人のために一生懸命生きること。
すると少しは世の中の悪が是正されるかもしれませんね。