『女のいない男たち』
『女のいない男たち』
村上春樹の新刊です。
9年ぶりの短編集だそうです。
今日は①村上春樹について②この作品について少し書いてから寝ます(ρ_-)
①村上春樹について
村上春樹は、人によって好き嫌いが激しいと思います。
みんなが騒ぐから、どんな作家だろうと思って一冊読んでみたのに、
わけがわからな過ぎて好きになれなかった、という人も多いでしょう。
実際に私もその一人でした。
村上春樹に対する考え方や彼の作品に対する興味がわいてきたのは、
2冊目からです。
それ以後はこの独特なスタイルにすっかりはまって、最近では新刊が出るたびに買ってしまいます。
もし村上春樹アレルギーをお持ちの方がいらっしゃったら、是非すぐに彼のことを嫌いにならずに、後もう一冊くらいチャレンジして頂きたいです。
ちなみに個人的なおすすめは、
長編は『世界の終りとハードボイルドワンダーランド』、『海辺のカフカ』、『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』
短編は『東京奇譚集』です。
②本作品について
さて次は本作品についてですが、
男は女なしで実は生きていけない、男たちの人生の方向は実は女によって操作されているみたいなメッセージがあるのだと私は感じました。
特に前半部分ではこの印象を強く受けたのですが、後半からは少しこの解釈があやふやになりました。
幸い最後の表題作「女のいない男たち」で少し解説があって、
なんとなく作品同士の関連がわかるような気がしました。
以下引用
「あるときには、一人の女性を失うと言うのは、すべての女性を失うことでもある。そのようにして僕らは女のいない男たちになる。」
「女のいない男たちになるのがどれくらいせつないことなのか、心痛むことなのか、それは女のいない男たちにしか理解できない。」
やはり男が女なしで生きていくことは、この上なく辛いことなのです。
その一方で「すべての女性には、嘘をつくための特別な独立器官のようなものが生まれつき具わっている」という説も作品内では見受けられます。
女性はなんとなく一人でなんとかやっていくことができても、
結局傷つき、一人で生きていくことを強いられるのは、いつも男たちなのです。
私が引っかかったのは、村上春樹が「女のいない男」ではなく、「女のいない男たち」という複数形を使ったことです。
どの時代世界中のどこに行っても、「女のいない男たち」は大勢いるという
一つの普遍的な真実を明かされている気がします。